※異本紫明抄(1252‐67)一一
「〈伊勢物語、知影集云〉武蔵国いるまの郡みよしのの里の人狩するとてはたのもしをして狩也」
頼母子・憑子とは - コトバンク
「講」という言葉は、もともと寺や寺院に集まって宗教教育を行っていた「講義」の意味だと言われています。時代とともに、次第に宗教色が薄れて単なる集まりを指すようになりました。
※異本紫明抄(1252‐67)一一
「〈伊勢物語、知影集云〉武蔵国いるまの郡みよしのの里の人狩するとてはたのもしをして狩也」
頼母子・憑子とは - コトバンク
歴史的文献では、建長7年(1255年)8月の鎌倉幕府の御教書において、質屋保護の法令として発せられた時に使われています。
このように元来は意味の違う言葉でしたが、歴史を経て地縁や共同体意識を基盤とする集まり(=講)を作り、相互扶助(=頼母子)の性質を持つ、金融手段(=無尽)のことを指すものとして、これらが同一視されるようになりました。
物品無尽は徳川時代に始まったと言われています。当時給付の対象となったのは、庶民階層の必需品ながら即金ではなかなか買うことのできない蚊帳や布団などでした。
対象となる物は時代と共に変遷し、大正時代の初めには布団・屏風などが、昭和の初めには土地・建物・電話などが、そして戦後ではミシン・家具なども全国的に給付されていたようです。
現在弊社が取り扱う住宅無尽もまた、この物品無尽の一つです。
銀行や信託会社などの金融制度が新たに導入されて、政府は欧米に倣った資本主義経済への移行を促しましたが、庶民の金融手段として無尽が流行するようになりました。
この背景には、日清戦争中の好況の反動で、経済が不況に陥り、庶民の金融が非常に逼迫するという状況がありました。普通銀行を利用することもできない庶民階層が、数百年間受け継がれてきた、相互扶助的な金融機能を持つ無尽に頼るようになったのです。
その後も、無尽を扱う会社は多数設立されました。しかし、業容の拡大に組織が伴わず、また経営者が運営状態を把握することができないものも多かったようです。
弊社は昭和17年(1942年)12月に免許を取得しました。
弊社が行う無尽業務は、無尽業法並びに無尽業法施行細則に則り、運営されております。
昭和26年(1951年)6月に制定された相互銀行法により、金銭無尽を取り扱う業者は相互銀行へ業態転換をすることになりました。
また住宅無尽を取り扱う業者も弊社を含め4社存在しておりましたが、現在では、無尽業法の適用を受けるものは、全国で弊社ただ1社となりました。
なお、その後、相互銀行は平成元年(1989年)2月に普通銀行に転換しました。
これらの銀行を会員とした業界団体として、一般社団法人第二地方銀行協会があります。
詳細は下記ホームページをご参照ください。
(令和4年2月時点 第二地方銀行協会 加盟行 地方銀行37行)
一般社団法人第二地方銀行協会 https://www.dainichiginkyo.or.jp/index.html